経営理念

Foraが目指していること

  1. 「教育を人生に統合する」
  2. 「主体性」を引き出し、「資質能力」を育む
  3. 「自分」のやりたいことと、「社会」が求めていることをすり合わせる
  4. 「選ばれた人」だけではなく、「全ての人」に質の高い教育を届ける
  5. 「実践」のみならず「研究」も重ね、システムレベルの変化を起こす

教育を人生に統合する:使命(Mission)

Foraの使命(Mission)は、「教育を人生に統合する」ことです。

いいかえれば、あらゆる教育を、学び手の人生にとって有意義なものになるように、再編集することです。

複雑化し、不確実性がいや増す中でも、変わらないことが一つだけあります。それは、自分の人生はたった1回しかなく、ほかの誰かに変わってもらうことはできない、ということです。それゆえ、学び手にとって最も代替不可能なのは「人生」にほかなりません。

にも関わらず、これまで「教育」は、学び手の「人生」に焦点を合わせてきませんでした。

近代以降、なぜ教育という営みがあるのかをめぐっては、つねに国家・社会の側からの論理立てがなされてきました。したがって、なにが教育されるべきかについては、学び手を無視した議論が積み重ねられてきました。

実際、高校生にとっての学びは、定期試験や受験など目の前の目標を達成するためだけのものになってしまいがちです。しかし本来は、大学で学ぶ学問も、高校で学ぶ教科も、学び手の人生になんらかの関わりがあるべきではないしょうか。

Foraは、このような状況に終止符を打つため、学び手の人生が教育にとって至高の目的であるという前提をおいて、「教育を人生に統合する」ことを使命(Mission)とします。

Foraの考える使命(Mission)とは?

Foraでは「使命(Mission)」とは「存在意義(raison d’etre)」であると考えています。それゆえ、もし使命から外れたことをしてしまっていたら、そのときForaはForaでなくなるということになります。

Foraにとって最後まで握り続けなければならないのが使命(Mission)であり、Foraの構成員には使命(Mission)に最後までコミットメントすることが求められます。したがって、Foraの行うすべての事業において、使命(Mission)は貫徹されなければならないと考えています。

Foraにとって「教育」とはなにか?

Foraでは、「教育」を「学び手の学びを促進させるための触媒になるようなものすべて」として定義しています。

あくまでも、ここでは「学び手」そのものではなく、「学び手の学び」に焦点を合わせています。というのも、学び手自身が、学ぶ以前から学ぶことの価値を十全に判断できる場合ばかりではないからです、

このように、Foraでは、一般に理解されているように「教える」という行為に即して「教育」を捉えるのではなく、むしろ、学び手を「育む」ほうに焦点化して「教育」という概念を捉えています。

Foraにとって「人生」とはなにか?

人間は、生まれてから死ぬまで、決して自分以外の人生を生きることはできないし、自分以外の誰かに自分の人生を生きてもらうこともできません。

この人生という旅において、人間は、模索しながら目的地を設定をし、その目的地に到達するために道を切り拓いていきます。そして目的地に到達したら、また新しい目的地を設定するために試行錯誤を始めます。

このように、Foraでは、「人生」とは興味と関心に牽引される一瞬の積み重ねでありながら、哲学や思想によって轍ができていく時間軸をもったものとして捉えています。

 「主体性」を引き出し、「資質能力」を育む

公共への問いに⽴ち向かうとは、⾃分の⼈⽣を歩むことと、よりよい世界をつくることが、同じ道にあるような⽣き⽅をすることです。

その第⼀段階として、「なんとなく」⽣きることからの脱却という段階があります。ここでは、「意志」と「問い続ける姿勢」を育むことが⼤切だと考えています。

その次に、意志をもって問い続けながら⾒つけた道を歩むための、資質・能⼒が必要だと考えています。ここまでして、やっと「なんとなく」⽣きるのではなく、⾃分の⼈⽣を⾃分で切り拓くことができるようになります。

その前提のうえに、⾃分の進もうとしている先が世界にとってどんな意味があるか、⾃分はこの世界のなかでどのような⽴ち位置にいるのかなどを深く問うことが、公共への問いに⽴ち向かうことができる⼈間を育むことにつながっていきます。

「自分」のやりたいことと、「社会」が求めていることをすり合わせる

しかし、自分のやりたいことが見つかって、そこに向かっていける資質能力が身についただけで十分といえるでしょうか。いや、人間が社会的な存在である以上、「人生」にも社会の視点が不可欠です。

それゆえ、Foraでは「公共への問いに立ち向かう」人間を育むのが最終的な目標だと考えています。「公共への問いに立ち向かう」とは、社会の難題を自分事として問い、解決しようとすることを指します。

人間は社会のなかに生きざるをえないので、公共空間における課題を自分事として取り組む人間がいなければ、かえって、各個人の人生も豊かなものとはなりません。それゆえ、それぞれの学び手が、自分の人生だけではなく、公共空間における課題にも向き合うことができる段階に達してこそ、教育を人生に統合するという使命の達成へと近づくことができます。

とはいえ、「公共への問い」に立ち向かうには、自分の人生を切り拓けることが前提として要請されます。その上で、自分の向かう先が社会にとってどんな意味があるか?を問い、現在の社会にとって課題はなにか?、いったいどんな善を社会に返すべきか?といった「社会への問い」を探究し、最終的に自分のなすべきことを自覚する過程で、次第に公共への問いに立ち向かうことになると考えています。

「選ばれた人」だけではなく、「全ての人」に質の高い教育を届ける

Foraは、教育の対象を限定することなく、全ての学び⼿に学びの機会を届けること(「教育の機会均等」の実現)を目標に掲げています。

しかしそれだけでは十分ではありません。機会があってもその機会に気付けない、機会があっても機会をつかみとれない場合もしばしばあるからです。それゆえ、目標を一段引き上げて、全ての学び手が学びの機会へと向かうことができるような「公正な社会づくり」を目指します。

公正な社会では、個々人の潜在的な能力が最大限に引き出され、開花する機会が提供されます。このように、誰にでも可能性のドアが開かれた社会を実現することを目指します。

「実践」のみならず「研究」も重ね、システムレベルの変化を起こす

Foraは、原理原則として、教育プログラムの総合的デザイン・システムレベルの変化を⽬指しつつも、1⼈ひとりに寄り添った教育を⾏います。

教育は、本来、学び手のためにあるものであるから、学び手に応じて多様であるべきだと考えます。

それゆえ、必要な教育は、都市と地方、日本と海外、年齢などによって異なってくると考えれます。また、それぞれの学び手がもともとなにを得意とするかによっても、学び手が興味・関心を持つ分野はどこかによっても、必要な教育は異なるでしょう。

Foraは、原理原則として、教育プログラムの総合的デザイン・システムレベルの変化を目指しつつも、教育が原理的に多様性を要請するものであることを忘れず、場づくりを行うなかで、これを明示的に示していく。


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